テクニック編

留学の薦め

1. なぜ留学するのか?

国際関係学部の学生のみなさんは、在学中に何らかのかたちで留学したいと思っているでしょう。わたしは、みなさんが留学することを強くお薦めします。なぜか? 理由は2つあります。

まず、第一に、留学は教育の総仕上げだからです。このことをいちばんハッキリと言っているのは、ジャン =ジャック・ルソー(1712-78)でしょう。ルソーの『エミール』(1762)は教育論の古典ですが、『エミール』第5編の最後に「旅について」という部分があります。これはルソーの留学論です。ヨーロッパでは中世以来、学問修業のためと称して、若者が外国へ出かけていく伝統がありました。そして、これはむしろ悪い遊びを覚えたり放蕩ぐせをつける結果になったりして、親たちの心配の種になってきたという歴史があります。が、それでもなお、留学はすべきだ、とルソーはいいます。「観察すべき事実はどんな種類のことでも、読んではならない、見なければならない」。「一国民しか見ていない者は、人間というものを知ることにはならない」。「人間が自分の同国人しか知らなくてもいいのか、あるいは、人間一般を知る必要があるのか」。ルソーはこう問いかけ、教育の総仕上げとして留学を薦めるのです。

第二に、わたしたちが留学するのは自由になるためだ、とわたしは考えています。いまの日本は、グローバル化する世界全体の傾向とは反対に、「内向き」「ひきこもり」の傾向を示しています。いまの日本人は、「日本は素晴らしい」と、過去の栄光にしがみついて、現実逃避の自己賛美に陥っていないでしょうか。いまこそ学生のみなさんは、留学して、世界の現実を自分の眼で見てください。世界の片隅の日本という環境で生きてきた自分を、その狭い枠組・場から解き放ち、地球社会の中で異なる位相を占める地(知)へ投げ込むことによって、自分自身、日本、アジア、そして世界を再発見する。そのときわたしたちは、無知や偏見、臆病、因習から自由になる、ということではないでしょうか。わたしは、自分自身を解き放つもの、自由にするものとして留学をとらえたいと思います。

2. 留学に必要なもの

留学に必要なものは、留学しようとする意欲に加えて、語学力、体力、資力でしょう。

(1) 語学力

留学先がどこであるかによって、必要となる言語も異なりますが、留学先で要求される語学力の詳細については、立命館大学国際教育センターのウェブサイト(http://www.ritsumei.ac.jp/studyabroad/planning/about/)、国際教育センターで配布している『海外留学の手引き』、あるいはこのIRナビの外国語の学び方をご覧ください。

米国ないしカナダの大学に留学しようとすると、TOEFLという英語の試験を受けて、そのスコアを提出することを要求されます。TOEFLとは、米国・カナダの大学で授業についていくことができるかどうかを判断するための英語試験で、かなり正確にその人の英語力を表します。

米国・カナダの大学は、TOEFLのスコアを入学審査のときの判断材料として使いますが、専攻分野によって要求される英語力=スコアも異なってきます。人文・社会科学は言葉に依存する学問ですから、かなりの英語力が要求されるのに対して、理学・工学はそれほど言葉に依存しないので、要求される英語力も低くなります。国際関係学は言葉に依存する学問ですから、ある程度の英語力が要求されるでしょう。昔の方式のスコアで言って、TOEFL550あたりが1つの目安でしょうか。

(2) 体力

ふつうに生活していける体力があればまず問題はありません。身体にハンディキャップのある人は留学を躊躇するかもしれませんが、むしろこの問題に自覚的な北欧や北米の大学の方が勉強しやすい可能性があります。

留学するにあたって特に必要な力は、異なった環境に適応する能力、精神的な強さでしょう。留学のガイドブックなどをみますと、カルチャーショックについて書かれていますが、わたし自身や友人たちの経験では、カルチャーショックはそれほど大きな問題ではありませんでした。むしろ異文化との接触こそ留学の目的のひとつであり、醍醐味のひとつですから、カルチャーショックを味わうのは楽しみだったくらいです。留学しようとする強い意志と、先に述べた語学力を持っていれば、カルチャーショックもうまく切り抜けられるはずです。それよりも、日本に帰ってきたあとの逆カルチャーショックの方が深刻な問題かもしれません。

(3) 資力

立命館大学には目的、レベルに応じてさまざまな留学プログラムが用意されています。それらについては、国際センターが作成した『海外留学の手引き』をご覧ください。立命館大学の交換留学プログラムを利用するのは賢明な方法ですね。交換留学プログラムの場合、渡航費・生活費等はかかりますが、学費としては立命館大学の学費だけですみます。

立命館大学の留学プログラムに加えて、自分自身で奨学金を獲得して、自分の行きたい大学に留学するという方法もあります。さまざまな奨学金の制度がありますが、わたし自身の経験からお薦めする奨学金は、ロータリー財団国際親善奨学金です。世界各地のロータリークラブから選考されて希望の大学へ派遣される奨学金です。

また、ロータリークラブには「ロータリー世界平和フェロー」という大学院修士課程レベルの奨学金もあり、こちらも魅力的です。興味をお持ちの方は、国際関係学部卒業後の進路として、これに挑戦してみてください。

3. 留学の類型学

「留学」という日本語は、すでに8世紀の『続日本紀』に現われています。このことからもわかるように、留学は世界中で相当に古い時代から見られた現象・営みであるといえます(遣随使や遣唐使に同行した留学生、それに栄西、道元らの高僧をただちに想起します)。わたしは、このように人類史にひろく見られる留学という現象を、大づかみに整理すると、さしあたり次の3つに分類できるのではないか、と考えます。すなわち、(1)巡礼、(2)放浪、(3)結果としての越境、この3つです。

(1) 巡礼

巡礼というのは、政治字者ベネディクト・アンダーソンが、その著書『想像の共同体』の中で使っている言葉です。植民地住民がレベルの高い教育・文化を求めて(あるいは立身出世を求めて)、植民地ないし宗主国の名門校へ入学した現象を、アンダーソンは「巡礼」と表現しています。これは留学のひとつの典型でしょう。古代から現代まで、留学=巡礼の事例には事欠きません。どのような時代でも世界は、文明の<中心>と<周辺>から成る、不均等な構造を持っていますが、<周辺>から<中心>に行くのが巡礼ですね。禅を学びに南宋に渡った道元、幕末の福沢諭吉、明治時代の森鷗外、夏目漱石らはみな巡礼としての留学をしています。日本の学問・文化の歴史は、まさに巡礼の歴史そのものだったともいえるでしょう。もちろん、これは日本に特有な経験ではなくて、一般に後発国に共通に見られる現象です。

巡礼を終えた留学生は、大きく2つに分かれます。ひとつは、自分の出自=<周辺>性から目をそらし、できるだけ<中心>のスタイルに同化しようとする者。もうひとつは、<中心─周辺>から成る世界の構造を直視し、不均等な構造を是正しようとする者です。どちらが精神の自由を獲得したかといえば、それはもちろん後者ですね。

(2) 放浪

<周辺>から<中心>へ向かう巡糺はきわめて合目的的な行動ですが、ついふらふらと外国の大学などへ行くという事例=放浪もまた数多くあります。この放浪というのは、当該社会からの「避難」だったり、「転地療養」だったりします。ヨーロッパ中世にも「放浪学生」というのが多かったようですが、日本にもいますね。永井荷風は、フランスに渡る前に、米国ミシガン州のカラマズー・カレッジというところに留学しましたが、これは巡礼というよりも放浪だと思われます。日本の大学を落ちたので、あるいはとにかく日本から脱出したくて、外国のどこかの大学にもぐり込むというのも、放浪でしょう。

(3) 結果としての越境

これまでの留学の歴史を概観して分類してみると、いちばん多いのは「巡礼」で、次に「放浪」でしょう。しかし、どうしてもこの2つには分類できない第3の類型があるとわたしは思います。それは「結果としての越境」というものです。

高校・大学を卒業して、どの大学・大学院に進学しようかと考えたとき、学業成績、言葉、学費の問題をクリアできれば、世界中の大学・大学院がわれわれを待っています。たとえば、米国の学生がカナダや英国の大学へ入学するのは、めずらしいことではありません。日本の学生の場合も、自分の目的にとって最適の大学・大学院を探したら、それは外国にあった、ということがままあります。たとえば、平和学を本格的に勉強しようとして、英国のブラッドフォード大学や米国のノートルダム大学へ行く、というようなことです。最近は、<周辺>から<中心>へ行くという意識も、日本社会の窮屈さから脱出するという意識もなしに、ごく自然に外国の大学へ行く人々が増えてきました。巡礼とも放浪とも違うこのタイプの留学を、わたしは「結果としての越境」と呼びたいと思います。

4. 留学を終えて──どこで仕事をするか?

留学を終えたあと、みなさんは立命館大学国際関係学部に戻り、卒業します。学部卒業後、大学院へ進学する人もいるでしょうし、公務員になったり、企業に就職したりする人もいるでしょう。留学と仕事との関係をどのように考えたらよいでしょうか。

(1) 日本社会で仕事をする

留学した期間にもよりますが、長く日本を不在にすると、日本社会への再適応を困難に感じることがあります。これは逆カルチャーショックと呼ばれています。逆カルチャーショックを活かして、友好的に周囲に、はたらきかけることができればいいのですが、留学帰りの人の中には、留学先の価値観に染まって、その立場からやたらに日本を批判する人がいます。反対に、留学中に日本のよさを「過剰に再発見」して帰ってきたナショナリストもいます。

留学先に同化してしまい、そこから日本を批判するのも、日本を絶対化して日本を擁護するのも、どちらもまだ精神の自由を獲得していない、とわたしは思います。しばらく日本を離れ、異文化の中に身を置くことによって、自分自身、日本、アジア、そして世界を再発見するというのが、留学の目的でした。その目的を達した人は、人類史の過程、地球社会の構造の中に、日本をきちんと位置づけることができるはずです。

(2) 地球社会で仕事をする

留学を終えたあと、必ずしも日本社会で仕事をする必要はありません。縁ができた留学先の社会で、あるいは地球社会で仕事をするという選択肢があります。

たとえば米国の大学に留学し、博士課程を修了したあと、そのまま米国の大学の教員を務めている日本人は数多くいます。ハーヴァード大学で博士号をとり、シカゴ大学を経てハーヴァード大学の歴史学教授を務めた入江昭氏などがそのいい例ですね。また、明石康氏は、ヴァージニア大学、タフツ大学フレッチャー・スクールで学んだ後、国連の最初の日本人職員のひとりとして採用されたのでした。

留学後、国際機関で働きたい、と考えている人もいるでしょう。国連では、分担金の割合や人口などに比例して国別の「望ましい職員数」を算定し、それを目安にして職員採用を行なっていますが、日本人職員は常に望ましい職員数の半分しかいないのが現状です。留学後、地球社会で仕事をする道はひろく開かれていますから、意欲のある方はぜひ挑戦していただきたいと思います。国際機関での勤務経験を持つ大学教員が学生向けに書いた小西尚実編『グローバルキャリアのすすめ━━プロフェッショナル講義』(関西学院大学出版会、2018年)という本があり、参考になります。

日本の外で仕事をするという選択をした人に、はなむけとして、次の言葉を贈りましょう。これは、エドワード・サイードが引用して有名になった、12世紀ドイツの修道士の言葉です。

「自分の故国を甘美におもう者はまだか弱い初心者である。あらゆる土地を自分の故郷だとおもうようになったら、かなり強くなったといえる。しかし、世界のどこに行っても自分はよそ者だと感じるようになったとき、あなたは本当に成長したのである」。

(3) 日本の市民として生きる

留学後、日本に帰らないで仕事をするのも有意義で魅力的ですが、わたしは日本に戻って日本の市民として仕事をしたいと考えました。なぜでしょうか。

ルソーの『エミール』は、自分の生まれた国に住んで義務を果たせ、といいます。2年間の外国旅行=留学を終えてエミールが悟ったことは、いまのヨーロッパには理想の国家などどこにもない、ということでした。自由はどんな国家の中にもない。それは自由な人間の心の中にある。しかしだからといって、エミールよ、どこの国に住んでも構わないなどと言わないほうがいい、とルソーはいいます。君は君の義務をいちばんよく果たせる場所に住んでいる必要がある。その義務のひとつは君の生まれ故郷に対する愛着である。だから、エミールは生まれた国に住んで、村の革新のリーダーになれ、というのです。

話がずいぶん先走ってしまいました。いまここでこんな話を聞かされても、ピンとこないかもしれませんが、頭の片隅にでも入れておいてください。

それでは、留学を終えて、ひとまわり成長したみなさんと再会するのを楽しみにしています。

執筆者:君島 東彦
執筆日:2012年2月29日
更新日:2024年2月29日