ヒトの声帯形態と音声言語の進化―単純な声帯の進化が複雑な言語コミュニケーションの礎となった―

ヒトは、多様な母音や子音を一息の中で連続的に連ねて言語コミュニケーションをしています。一方、サル類は、声の大きさや高さ、長さなどを手かがりに音声コミュニケーションしています。

理工学部の徳田功教授と石村憲意助教(現、DENSO)は、京都大学ヒト行動進化研究センター 西村剛 准教授、宮地重弘 同准教授、兼子明久 同技術専門職員、同大学大学院理学研究科 木下勇貴 博士後期課程学生、同大学 クリスチャン・ヘルブスト 特任准教授(研究当時、現:オーストリア・モーツァルテウム大学研究員)、同大学 小嶋祥三 名誉教授、香田啓貴 同特定准教授(研究当時、現:東京大学准教授)、同大学大学院情報学研究科 松田哲也 名誉教授、今井宏彦 同助教らとの共同研究で、ヒトの声帯形態は音声言語に適応して進化していたことを明らかにしました。

本研究では、サル類の声帯形態の特徴を明らかにし、実験的手法によりその振動特性および音響学的効果を示して、それらをヒトと比較しました。サル類の声帯は複雑な形態を呈しており、大きな音声や多様な音声をつくるのに適していますが、安定性に欠けます。一方、ヒトの声帯は単純な形態で、長く安定した音声をつくるのに適していました。逆説的ですが、その単純な声帯形態こそが、複雑に音素を連ねる音声言語に適応的であることを示しました。これまで、声帯の形態進化はほとんど注目すら払われてきませんでした本成果は、言語がどのように獲得されてきたかという進化プロセスの重要な一端を明らかにしました。

本成果は、2022年8月11日(現地時刻)に米国の国際学術誌「Science」に掲載されました。

背景

言語の起源と進化は、数ある人類の進化イベントの中でも今なお解明されていない、手付かずの部分が多く残されています。言語は化石になりません。よって、その解明には、言語を支える生物学的基盤の一つ一つについて、サル類のそれと比較し、その進化のプロセスを再構築していくアプローチが欠かせません。音声は、喉にある声帯が呼気流により振動して作られる音源により、そこから唇に至る声道と呼ばれる空間が共鳴してつくられます。ヒトの音声言語の特徴である多様な音素は、声道の形を舌や唇などの運動で連続的に変化させて共鳴を変えることでつくられます。そのため、これまで、声道形状の可動性や制御にかかる形態進化に注目した研究が展開されてきました。一方で本研究では、多くの音素一つ一つをきれいに連ねるためには、長く安定した音源が必要であることに着目しました。そこで、音源をつくる声帯の形態とその振動特性および音響学的効果について、解剖学、行動学、神経科学、工学的実験、数値シミュレーションなど多様なアプローチを総合して、サル類の特徴を明らかにし、それと比較することでヒトの特性およびその適応的意義を検討しました。

研究手法・成果

先ず、標本コレクションの形態学的解析により、サル類の声帯には、必ず、声帯膜という膜状構造が付加されていることを確認しました。つまり、ヒトでのみ、この構造が欠損していることを明らかにしました。次に、チンパンジーやニホンザルなどで声帯振動を直接観測したところ、サル類では、その声帯膜が振動の主体で、声帯は付加的であることがわかりました。さらに、新鮮な摘出喉頭試料を用いた吹鳴実験と生体マカクザルを用いた電気生理学的実験により、声帯膜と声帯の振動が相互に作用して、複雑な振動が起きていることがわかりました。サル類の声帯膜と声帯のコンピューターモデルを使った数値シミュレーションでは、声帯と声帯膜の相互作用により、経済的に発声できるが一方で、声帯に不規則な振動が起きたり(カオス※1)、声帯の振動より音声が低くなったり(サブハーモニクス※2)といった非線形現象が容易に生じて、音源の安定性に欠けることがわかりました。一方、ヒトの単純な声帯モデルでは、発声の経済性は劣るものの、安定した音源をつくることができました。このように、多様なアプローチを総合して、ヒトの声帯形態は単純化することで、複雑な共鳴操作による音声言語の進化を担ったこと示しました。

波及効果、今後の予定

本研究により、声帯などの器官形態の進化的変化も音声言語の進化に必要であることを示しました。サル類の声道もかなり多様な運動を示す研究などが相次いでいて、器官形態の進化の役割に対する注目度は下がり気味でした。音声言語を含む言語の進化プロセスの解明には、ソフトウェアとそれを支えるハードウェアとの共進化を理解する必要があることを改めて認識させる結果となりました。

また、この論文では、さらに、声帯形態の単純さは、その振動の制御のしやすさにもつながっていると議論しています。私たちヒトは、本来、不随意に動く声帯や呼吸の運動を、脳で作られた音声計画に沿って随意に制御して、音声言語を駆使しています。サル類の複雑な構造では、振動を精緻に制御するのは困難です。声帯をはじめとする音声器官の運動の随意性を支える生物学的基盤とその仕組みの解明は、本研究の成果で見えてきた音声言語の進化プロセスの理解をさらに深めると期待されます。

研究プロジェクトについて

本研究は、日本学術研究振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「サル類の声帯振動特性に関する実験的研究による話しことばの進化プロセスの解明」19H01002、基盤研究(B)「霊長類の発声メカニズムの多様性とヒト発声の進化プロセスに関する医工生物学融合研究」16H04848、基盤研究(C)「実体模型および摘出喉頭による仮声帯振動機構の解明と歌唱、医療、言語進化への展開」20K11875、基盤研究(B)「ヒト発話コミュニケーションの進化と成立:前駆体能力に関する実験的研究」18H03503、文部科学省科学研究費補助金新学術領域「脳情報動態を規定する多領域野連関と並列処理」4905計画研究「認知・運動における多領野間脳情報動態の光学的計測と制御」17H06313、新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」4903、同計画研究「言語の下位機能の生物学的実現」17H06380、英国・耳鼻咽喉研究財団助成、オーストリア科学財団DK助成「Cognition&Communication2」W1262-B29、の支援をうけて実施されました。

研究者のコメント

ヒトが複雑な言語を話すようになった背景に、脳の進化は欠かせませんが、それに加えて、発声器官の進化も大きな後押しになったことが示された成果です。本研究は、人類学、進化生物学、生物音響学、非線形動力学の専門家たちが協働で進めたものです。京都大学や、ウィーン大学をはじめとするヨーロッパの共同研究者との出会いと友情が、このようなかたちで結実することになり、チームみんなで嬉しく思っています。(徳田功)

論文情報

  • 論文タイトル:Evolutionary loss of complexity in human vocal anatomy as an adaptation for speech ヒトの声帯形態における複雑性の進化的欠損とその音声言語への適応
  • 著者:西村剛、徳田功、宮地重弘、Jacob C. Dunn、Christian T. Herbst、石村憲意、兼子明久、木下勇貴、香田啓貴、Jaap P. P. Saers、今井宏彦、松田哲也、Ole Næsbye Larsen、Uwe Jürgens、平林秀樹、小嶋祥三、W. Tecumseh Fitch
  • 掲載誌:Science
  • DOI:10.1126/science.abm1574
  • URL:https://www.science.org/doi/10.1126/science.abm1574

用語解説

※1:カオス:低次元の決定論的な非線形力学系から生成される、不規則で予測不能な挙動を指す。この場合、声帯と声帯膜の相互作用によって、声帯に不規則な振動が生じることを意味する。

※2:サブハーモニクス:声帯の持つ基本周波数(f0)の整数分の1の周波数で振動が起こる現象を指す。典型的には、声帯膜の影響により、声帯の振動周波数が2分の1となり、音高が半分に下がる。

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