加國尚志先生、亀井大輔先生、谷 徹先生

2022.12.09 TOPICS

【知の拠点を訪ねて】他者との関わりのなかで変化を続ける知の運動体 間文化現象学研究センター

私たちは自分の身体、あるいは生活や文化のなかで形づくられた認知の枠組みを通すことではじめてものごとを認識することができる。これはすでに「客観的」な語り方であろう。しかし、ものごとを(神の視点から見るような意味で)「客観的」に捉えることは不可能なのだと喝破したのが、ドイツの哲学者フッサールだ。まずは自分自身が見る。このことを出発点にしてこそ、冒頭の語り方のもつ意味も深く理解可能になる。フッサールが創始した現象学は、ヨーロッパで主流だった客観主義を批判して20世紀の思想の大きな潮流をつくった。社会学、精神医学など多方面に展開され、現在も世界各地で研究が進められている。

その重要な研究機関のひとつが間文化現象学研究センターである。異文化間の切迫した関係性を研究者みずからの経験を起点として解明していく現象学の方法論、そして研究拠点としての役割について、谷 徹先生(文学部 特任教授)、加國尚志先生(文学部 教授)、亀井大輔先生(文学部 教授、センター長)にお話を伺った。

東アジアにおける「現象学運動」の重要な研究拠点

間文化現象学研究センターは、日本初の現象学の研究センターとして2009年に設立された。谷先生によれば、その背景には世界的な「現象学運動」があるという。

「現象学の広がりは、学派や主義ではなく「運動」と捉えるのがふさわしいでしょう。「主義」や「学派」とよばれるものが絶対的な指導者に人々が追随するものだとすれば、「運動」とは、今生きている人々が自分にとって切迫した諸問題に直面し、それに応答しようとするときに自発的に加わり、広がっていくものです。現象学はまさにそのようにして、危機に直面している人々が同時に押し広げてゆく運動として世界各地に広がってきました。

現象学運動の広がりとともに、ヨーロッパや東アジアをはじめ世界中に研究拠点が設立されました。日本国内でも東京大学、京都大学をはじめ数々の大学で現象学研究が行われており、立命館大学もその重要な伝統を担っています。そうした大きなうねりのなかで、本邦初の現象学の研究センターという形で設立されたのが間文化現象学研究センターです。本学の現象学の研究者としてまず加國先生がいらっしゃり、その後私が着任し、亀井先生が入ってこられて徐々に強力な研究体制が整ってきました。国内外の研究者・研究機関と連携を深め、現象学運動の東アジアにおける重要な拠点として今日に至っています」

さまざまな問題に直面する人々の間にさざ波のように広がった現象学運動のネットワーク、その東アジアにおける拠点のひとつが間文化現象学研究センターなのだ。

谷 徹先生
谷 徹先生

他者との関わりのなかで実践される「間文化現象学」

センターが掲げる「間文化現象学」とはどのようなものなのだろうか。

客観主義が広まって学問が根無し草と化し、同時に、思考する人間が置き去りにされた19世紀後半という時代を、フッサールは「学問の危機」的状況と捉えていたという。科学主義から距離を取り、あらゆる学問の根源となるものを問い直した結果フッサールが行き着いたのが、われわれ自身の「生」なのだと谷先生は解説してくれた。

「哲学者も科学者も人間である以上、生きて日常生活を送っています。そして、そうした自分自身の生を神の視点的な第三者視点で外から眺めることは誰にもできません。客観主義的なものの見方はたしかに必要だけれど、完璧な客観的視点は存在しないという前提を忘れてはいけないとフッサールは考えました。人が客観主義的にものごとを語ろうとするとき、どうしても語っている自分自身が抜け落ちてしまうのです。

私たちが自分自身の「生」の外へ出られないということは、殻に閉じこもって誰とも関係を持てないということなのでしょうか。そうではなく、他者の視点と自分自身をからみ合わせながら生きているのだとフッサールは言います。これが現象学の基本的な考え方です」

こうした「生」を中心に置いた枠組みのなかで、自然科学はどこまで妥当でありえるのかということを考える科学論も発展したそうだ。一方、現象学の考え方は、ヨーロッパ的な文化を私たちの生の側から捉えることにも寄与してきた。そこで問われるのが「間文化性」だ。

「私たちがものごとを認識するとき自身の身体の外から眺めることができないのと同じように、たとえば日本に住んでいるという文化的な背景も私たちの生を構成する重要な要素です。それゆえ、20世紀にヨーロッパ的な文化のあり方が一気に世界に広まったことは、ヨーロッパ的ではない歴史や文化を背景にもつ人々のアイデンティティを揺るがすような切迫した問題をもたらしました。ここで重要になるのは、私たちが他の文化に属する人々と関わるなかで「日本的である」と捉えられるときに、そのように「ある」とはどういったことなのか、ということです。他者との関わりのなかで、私たちは歴史的・文化的にどうあって、どうあるべきなのか……研究者自身を巻き込んでそうした視座をつくっていくことが「間文化」現象学です」

自分が何者であるか、他者の視点で自身がどう規定されているのかを絡み合わせながら、文化の異なる他者との関係性のなかで生じる問題を考えることが間文化現象学の基本的なスタンスと言えそうだ。もう少し突き詰めると、自然という他者との関わりや、文化と文化の衝突によって起こる戦争も扱うべき対象として浮かび上がってくる。「戦争は、他者との関係構築に失敗したときに起こる最悪の事態です。そうしたことを起こさないために、他者との関わり方についてのこれまでとこれからを研究することが必要なのです」と谷先生は言う。

人はだれでも他者との関わりのなかで常に変化しながら存在している。そんな関係の多様なあり方を探究するセンターもまた、現象学運動のネットワークのなかで他の文化の人々と関わり、影響を与えあいながら研究に取り組んでいるという。

たとえば、書籍の刊行や雑誌『現代思想』の特集を通して研究成果を広く社会に公開しているほか、国内外の著名な研究者を招聘しての講演会や国際シンポジウムを開催するなど、知の交流に力を入れてきた。亀井先生はとくに印象深い出会いとして、アメリカの思想史家マーティン・ジェイ氏の名前を挙げる。

「15年以上前に谷先生が開催された講演会でマーティン・ジェイ先生に興味を持ち、未翻訳だった著書を仲間と6人がかりで翻訳しました。その刊行記念でジェイ先生をお呼びしてシンポジウムを開催できたことは大きな出来事でした。センターで取り組んできた主要な研究課題のひとつである「視覚と間文化性」というテーマには、こうしたジェイ先生との交流が密接に関わっています」

こうした実践と研究が一体になった「往還的な知の運動」こそが、センターのめざす間文化現象学のあり方なのだ。

マーティン・ジェイ先生を招聘したシンポジウムの集合写真。左から4人目がジェイ先生
マーティン・ジェイ先生を招聘したシンポジウムの集合写真。左から4人目がジェイ先生

研究者自身の経験を軸足としてさまざまなテーマに取り組む

具体的にはどんなテーマで研究が進められているのだろうか。同じく文化を研究対象にする文化人類学やカルチュラルスディーズといった分野と比較して、現象学はあくまで日常の視点から離れない「強い経験主義」という立場を取っていることが特徴だという。たとえば京都で暮らす研究者が異文化との接触を考える際は、日常的に出会う海外からの観光客に対してどのように接しているか、という自身の経験を起点にすることが重要になってくるのだそうだ。

こうしたスタンスのもと、センターでは5年計画で重点テーマを定めて研究に取り組んできた。2019年度までの5年間で取り組んだテーマは、「視覚」「制度」「エコノミー」「倫理」「宗教」の5つだ。

「哲学において、「視覚」はこれまで人間の理性的な活動と不可分なものとされてきた一方で、文化によって異なる形で規定されることもありました。西洋哲学では視覚が伝統的に中心に置かれてきましたが、20世紀のフランス哲学は反視覚的だとされます。そうした違いから、視覚を間文化的に見ていくというのがひとつのテーマでした。さらに、視覚は人間の文化を構成する「制度」のように働いている側面もあります。そこで、視覚の間文化性を制度としても捉えることに取り組みました。「エコノミー」は、何かを与えたり、交換したりといった人間のベースとなる出来事です。文化の間で交換や贈与がなされているということの意味を考えました。「倫理」と「宗教」はそれぞれ現象学運動で扱われてきた非常に大きなテーマですが、ここまで取り組んできた間文化という視点で何が言えるのかを改めて問い直しました」

10年間の研究活動を踏まえ、センターでは2020年度から「芸術の現象学」「脱構築と批判理論」「間文化性の現象学」「21世紀の倫理学」という4つのプロジェクトを開始している。このうち、「芸術の現象学」を担当するのは加國先生だ。

「芸術について語るには、歴史から語る方法もあれば、様式や技法から語ったり、美学の観点で語ることもできます。現象学は感性的経験を非常に重視するので、哲学のなかでも芸術を扱うのが得意な分野と言えるでしょう。東洋と西洋、古典と現代といった美術史的な理解による区分を越えて、芸術を経験するとはどういうことかを現象学の考え方で探究し、ゆくゆくは文化間の違い、つまり間文化性も射程に入れたいと考えています」

加國尚志先生
加國尚志先生

自身も変化しながら、激変する世界情勢に応答してゆく

コロナ禍ではセンターの取組みも大きな影響を受けたそうだ。中国の中山大学との共同企画である国際シンポジウム「第2回東アジア間文化現象学会議」は延期を経て、今年2月にオンラインで開催された。「次回は中山大学での開催が決まっているので、日本からは若手の研究者を連れて参加し、相互交流を深めたい」と亀井先生は意欲をにじませる。海外の研究機関に学生や若手研究者を送り出すことも、拠点としてのセンターの重要な役割だ。

亀井大輔先生
亀井大輔先生

設立から13年を迎えるセンターの今後について伺ったところ、「センターのありようは他者との関係によって常に変化してきました。ですから、あえて今後のことを決めつけないという態度も持ち続けていきたいです。コロナ禍で延期になったシンポジウムをオンラインで実現できたことも大きな変化ですし、これからも変化し続ける世界の動きに対応しながら続けていくことが大切だと考えています」と亀井先生。

いっぽう谷先生は海外の研究拠点の動向に触れつつ、世界情勢が激変する今こそ間文化現象学が役割を果たす時だと語ってくれた。
「現象学運動のひとつの拠点であった香港中文大学の活動が事実上停止してしまうなど、激変する世界情勢は我々に深刻な課題を突きつけています。未来を描くことが難しいなかで、それでもさまざまな問題に対応していかなくてはなりません。ネットワークを構成する拠点のひとつとしてその機能をなんとか守り抜き、役割を果たしていきたいと考えています」

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