立命館大学生命科学部の前田大光教授と同大学大学院生命科学研究科博士課程後期課程の杉浦慎哉さん(2023 年 3 月修了)らの研究チームは、大阪大学、筑波大学、慶應義塾大学と共同で、 近赤外領域に光吸収を示すπ電子系1 を新たに合成し、脱プロトン化によって得られるジアニオンがジラジカル2 性を示し、共存する対カチオンによってその特性が変調することを解明しました。 本研究成果は、2023 年 3 月28 日(現地時間)に、米国化学会誌「Journal of the American Chemical Society」に掲載されました。

本件のポイント

  • 脱離可能なプロトン(H+)を有する新たな π 電子系骨格の設計・合成と安定化を実現
  • 脱プロトン化(アニオン化)により溶液状態・結晶状態でイオンペアを形成
  • 2 箇所の脱プロトン化によってジラジカル性を観測
  • ジラジカルの安定性や電子スピン分布を共存する対カチオンによって変調

研究成果の概要

ジラジカルは互いに相互作用する 2 個の不対電子を有する開殻系3 であり、閉殻系4 には見られない電子・光物性を示すことから興味が持たれています。 ジラジカルは分子構造によって基底状態5 が一重項状態6 または三重項状態7 として存在し、温度に依存して安定な状態が変換されることから磁性材料としての利用が期待できます。 研究チームは、きわめて報告例の少ないジアニオンジラジカルπ電子系(QPB2–)の創製に成功しました。QPB2–は近赤外領域である 1500 nm 付近の光吸収を示し、基底状態では一重項ジラジカルとしてふるまいます。 QPB2–のジラジカル特性は共存する対カチオンによって変調され、荷電π電子系のイオンペアリングによってその特性の制御に成功したはじめての例であり、新たな電子・光機能材料への展開の端緒となることが期待されます。 本研究は科学研究費補助金および立命館グローバル・イノベーション研究機構(R-GIRO)8 などの支援によって実施されました。

研究の背景

π電子系に炭素以外の原子を組み込むことで、電気陰性度や原子半径の違いによって物性の変調が可能です。 たとえば、キノンメチドと呼ばれるユニットをπ共役ユニットで架橋したπ電子系(π拡張キノン)は、酸化還元特性や近赤外吸収を示すだけでなく、 芳香族性9 の獲得にともないジラジカル性を示すことからさまざまな分野で注目されています(図1)。 また、キノンメチドユニットを連結するユニットによって物性が変調できるため、機能発現をめざした研究がさかんに行われています。 しかし、π拡張キノンは反応性が高く取り扱いが困難であることから報告例が少なく、物性の検証に課題がありました。

図1 π拡張キノンとジラジカル性の発現
図1 π拡張キノンとジラジカル性の発現

研究の内容

本研究では、安定なπ拡張キノンの連結ユニットとしてジピロリルジケトンホウ素錯体 PB の導入を検討しました(図2a)。 ジケトンホウ素骨格は、双性イオン10 型の共鳴構造11 を形成するため、交差共役系12 においても共役が伸長することが予想され、π拡張キノンの安定化を期待しました(図2b)。 さらに、ピロールのプロトン(H+)は脱離することで、電荷の付与や電子状態の変調が可能となります。

図2(a)ジピロリルジケトンホウ素錯体 PB;(b)π 拡張キノンの共役への寄与を示すジケトンホウ素骨格
図2(a)ジピロリルジケトンホウ素錯体 PB;(b)π 拡張キノンの共役への寄与を示すジケトンホウ素骨格 の共鳴構造

この設計指針をもとに、ピロール周辺に適切な修飾を施すことによってキノンユニットを安定化し、PB を基盤としたπ拡張キノン QPB を合成しました(図3a)。 塩基を用いた脱プロトン化によってπ電子系アニオン QPB–へと変換され、HSAB 則13 に基づくイオンペアメタセシス14 によって、さまざまなカチオンとのイオンペア形成が可能であることを見出しました(図3b)。 さらに、QPB は 2 当量の塩基によって近赤外領域である 1500 nm 付近に吸収を示すジアニオン体 QPB2–へと変換でき、QPB および QPB–は閉殻系であるのと対照的に、 電子スピン共鳴15 から QPB2–が開殻系(ジラジカル)であることが示されました。このとき、共存する対カチオンの種類(π電子系かどうか)に依存して QPB2–のジラジカル性の安定性や電子スピン密度に影響を与えることが明らかになりました(図4)。 この結果は溶液中でのイオンペア形成によって、電子状態や磁性の制御が可能であることを意味します。さらに、昇温によって電子スピン共鳴のシグナル強度が上昇することから、基底状態が一重項ジラジカルであり、三重項ジラジカルに熱励起されることが示唆されました。

図3(a)PB を基盤としたπ拡張キノン QPB;(b)対カチオンに依存した QPB–イオンペア集合体
図3(a)PB を基盤としたπ拡張キノン QPB;(b)対カチオンに依存した QPB–イオンペア集合体

図4 QPB2–のジラジカル性に対する対カチオン依存性
図4 QPB2–のジラジカル性に対する対カチオン依存性

社会的な意義

本研究では、ジケトンホウ素骨格をキノンメチドの連結ユニットとして利用することで、脱プロトン化によって開殻系を生成する独創性豊かなπ電子系を創製しただけでなく、 イオンペア形成によるジラジカル性の制御に関するきわめて重要な知見が得られました。今回新たに見出された物性は、電子スピンおよびイオンペア間にはたらく分極を利用した強磁性強誘電体などの電子・光機能材料への展開につながることが期待されます。

論文情報

  • 論文名: Deprotonation-Induced and Ion-Pairing-Modulated Diradical Properties of Partially Conjugated Pyrrole-Quinone Conjunction
  • 著者: Shinya Sugiura, Takashi Kubo, Yohei Haketa, Yuta Hori, Yasuteru Shigeta, Hayato Sakai, Taku Hasobe, and Hiromitsu Maeda
  • 発表雑誌: Journal of the American Chemical Society
  • 掲載日: 2023 年 3 月 28 日(現地時間)
  • DOI: 10.1021/jacs.3c01025
  • 掲載URL: https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.3c01025

用語説明

1. π電子系:二重結合などを有する分子。分子構造によっては可視光を吸収し、色素となる。
2. ジラジカル:不対電子を 2 つ有する化学種。
3. 開殻系:不対電子を持つ系であり、反応性に富む。
4. 閉殻系:すべての軌道に 2 つずつ電子が入り不対電子を持たない系。
5. 基底状態:与えられた系の量子力学的状態のうち,もっとも低いエネルギーをもつ状態。
6. 一重項状態:電子スピン量子数の合計が 0 となる電子状態。
7. 三重項状態:電子スピン量子数の合計が 1 となる電子状態。
8. 立命館グローバル・イノベーション研究機構(R-GIRO): 立命館大学の中核研究組織として、2008 年 4月に設立された分野横断型の研究組織。
9. 芳香族性: Hückel 則にしたがい、単環状のポリエンではπ電子の数が 4n+2 個のときに閉殻構造をとって安定化する性質。
10. 双性イオン:分子内に正電荷と負電荷の両方を持つ分子。
11. 共鳴構造:分子の構造が 2 種以上の古典構造式の重ね合わせとして表現するときの構造。
12. 交差共役系:電子対の移動が分子全体に非局在化する共鳴構造を描けない共役系。
13. Hard and Soft Acids and Bases(HSAB)則 : R. G. Pearson によって提唱された硬い(分極しにくい)酸が硬い塩基と、軟らかい(分極しやすい)酸が軟らかい塩基と親和性を有するという概念。
14. イオンペアメタセシス:複数のイオンペアを共存させた際に起こるペアの組み換え。
15. 電子スピン共鳴:磁場中に置かれた電子スピンの共鳴現象のこと。不対電子を検出することができる。

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