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「パリ五輪をスケートボード人生の集大成に」先駆者が今度こそ日本代表の座をつかむ

 スケートボード女子パークの先駆者、中村貴咲(きさ)さん(食マネジメント学部・4年)が、新たな目標を見据えた。追加種目でスケートボードが初めて実施された2021年の東京五輪は、直前の大会で逆転されメンバー外に。気持ちが落ち込み、本格的な練習になかなか取り組めなかったが、周囲の応援やサポートを受け、ようやく奮起。2024年のパリ五輪を集大成と位置付け、学業に励みながら、空中でダイナミックに繰り出す大技に磨きをかけている。

 5月にアルゼンチンでの大会を終えてから、やっと気持ちがリセットされた。「滑ることが楽しいと感じていた時は結果がついてきた。そういう感覚が戻ってきたんです」と、中村さんの声が弾んだ。「ベストな滑りをしたい。だから、もっと練習をしたいと思えるようになった。それが楽しいから。パリ(五輪)に出たい。ライバルはたくさんいるけど、頑張ります」。力強く言い切った。

 東京五輪の切符はほぼ手中に収めていた。だが、膝のじん帯を痛めながら臨んだ、最終選考会を兼ねた米アイオアでの大会で、本来のパフォーマンスを発揮できず、日本人4番目となる7位。最後の最後で3名の枠を僅差で逃し、補欠メンバーとなった。この大会の2カ月前、二人三脚で歩んできた最愛の父・貴英さんが亡くなったことも傷ついた心に、追い打ちをかけた。「(スケートボードを)やりたくないなあ…と感じて。メンタルをかなりやられました」と振り返る。「本来はスポーツではなくてカルチャー。勝たなければ…という思いが余分に加わって、自分の中で葛藤もあった」。スケートボードに乗っていても、ただ滑っているだけ。出場選手枠に入っているため、パリ五輪につながる大会には出場し続けていても、目標や意欲は失せかけていた。

 そんな時、励ましたり、支えてくれたのは、同世代の仲間たちだ。東京五輪金メダルの四十住(よそずみ)さくらは1学年下で、同じ神戸市内のGパークで練習していた。その四十住でさえ、今は若手の開心那(ひらき・ここな)や草木ひなのに遅れを取る。「(四十住)さくらたちとよく話をするけど、20歳になると色々と変わってきて、これまで10時間練習できたのに、半分の4、5時間くらいしかできなくなってくる。15歳が相手になるとマインドコントロールが難しい」という。本場の米国やブラジルなど海外を見渡しても、女子選手で25歳以上は非常に少ないそうだ。「私は招待選手しか出場できない閉鎖された世界に挑戦してきた。挑戦することはいくつになっても変わらない。しっかり滑っていない時間を長くしてしまって後悔しているけど、今やめてしまうのも後悔。15歳の選手に負けても後悔する。だからもう一度、チャレンジする」。この世界を切り開いてきたパイオニアらしい力強い言葉だった。

 スケートボードを始めたのは6歳。サーファーだった父・貴英さんが、プロサーファーに育てるため、陸上の練習として取り組ませた。8歳で大人も参加する大会で初優勝。11歳となった2011年から全日本の大会で連覇し、さらなる飛躍を遂げたのが2014年、初めて海を渡った時だった。大会出場にはインビテーション(招待)が必要で、父が撮影した動画を添え、英語の変換機能を駆使して「出場したい」との熱い思いをメールに託し、ようやく出場許可された大会で準優勝。その年には世界最高峰の大会にも招待され6位に入賞し、その翌週には米国内のプロ戦で初優勝した。2016年にはエクストリームスポーツの祭典「Xゲームズ」でアジア人初優勝の偉業を達成。サイズは小さくても、持ち味のスピードと躍動感あふれるダイナミックなトリック(技)を武器に、国際舞台で確固たる地位を築いてきた。「当時は日本にはなかったパーク(種目)がアメリカにはあって、自分の滑りを見せたい、その一心だった。1人で海外で生活するのは大変だけど、スケーター仲間がいれば、すべて大丈夫」と笑顔を見せた。

 スケートボードの魅力は個性やスタイルに同じものがないこと。単なるスキルのみならず、その場の空間すべてを表現し、否定されるものは何もないそうだ。サーフィンと違い、仲間との距離が近く、会話しながらでもできる。「その環境が好き」という。コーチや監督が存在しないのも特徴だ。「私は自分が回(転す)るのは得意だったけど、板(デッキ)を回すのが苦手だった。練習場でユーチューブを父と何度も見ながら、すごく練習して克服できた」。この成功体験こそが、世界の最前線で戦う勇気と自信を与えてくれた。

 立命館大学に進学したのは「食マネジメント学部」に惹かれたから。「栄養士の方と個人契約していて、自分自身でも食事の大切さを理解していたので、メンタルやモチベーションにも影響する食の力をもっと学びたかった。さらに食を通じて、経営や経済などの要素に関わる多面的なマネジメント能力を養いたい」と、高校時代と同じように片道2時間かけて通学する。大学では多くの友人に支えられ「選択していない授業まで一緒に受けてくれたり、応援してくれる友人と一緒にいるのは一番リラックスできる時間」と話す。競技に打ち込み1年間休学したので、今年3月には仲間と石川県へ「1回目の卒業旅行」に行ったそうだ。

 10月に行われたイタリアでの世界選手権では結果が出なかったが、来年1月、ドバイで行われる大会では、決勝の8人に残ることが当面の目標だ。「若い選手は勢いがあるけど、経験で勝る部分はある。細かい部分、テクニカルな所にこだわる」と力を込めた。11月にはドバイに乗り込み、現地で練習を積む。「本番の公開練習だけでは時間が足らないから」。微妙な感覚を研ぎ澄ます考えだ。

 パリ五輪が終われば第一線を退く予定だが、たとえ滑るのをやめても何らかの形でスケートボードを支えていく立場になりたいと話す。一方でマネジメントの学びの経験を生かして、スケートボーダーを集めるイベントの企画と制作に携わるのも夢。「スケートボードをずっとサポートしていきたい」。そのためにも今度こそ、五輪で輝きを放つ。

中村貴咲さん プロフィール

 2000年5月22日、神戸市生まれ。大阪学芸高出身。日本のスケートボード女子パーク(窪地状のコースで技と表現力を競う)種目の先駆者。世界各地を転戦してきた中でお勧めの国はスウエーデン。「美しい街並みが最高」とか。海外の一番の友人は東京五輪銅メダリストのスカイ・ブラウン(英)。米国の自宅へも遊びに行く。趣味は読書。就寝前に読み、好きな作家は原田マハ。ファッションにもこだわりがある。

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